ものを書く日々

企画から取材、執筆までやるライターわかりお。このブログでは書評中心に書いていきます。

ブレインライティングという企画のひねり出し方 ~ノオト15th 大感謝祭に行ってみた

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オモシロ系ライターのカリスマ ヨッピーさんとデイリーポータルZ編集長のセッションに、ブレインライティングというライターには欠かせない採用される企画の作り方まで。

 

株式会社ノオト15th 大感謝祭、前半5時間、参加してきた。

 

まずはライターもくもく会

 

9時過ぎ。ノオト社員の方以外での来場者第1号は私だったと思う。

午前中はライターもくもく会ということで、コワーキングスタジオ CONTENZに案内された。

参加者特典でノオトさんのノートももらった。うれしい。

 

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隣のソファ席でノオト社員の方が動画配信を行っている中、wifiをつなぎ作業開始。

家でやる何倍もはかどる。コワーキングスタジオってやっぱりいいなあ。

途中で知人のライターにも会え、同業種が交流する場所でもあるのだなあと再認識した。

 

たっぷり12時半まで作業した後は、広めのコワーキングスペースに移動し、いよいよイベントのオープニング。

 

とてもしっかりとした内容のオープニング

 

ノオト設立から現在に至るまで、社長がわかりやすく説明してくださる。

ノオトさんが運営しているエッセイ投稿サイト「short note」のことは初めて知った。のぞいてみると、最近エッセイを書きたくてたまらない私にとってとても魅力的なサイト。

 

どんどんと利用者を魅了するコンテンツを築きあげているんだなあ、と実感しながら、スクリーンに映し出されたスケジュールを確認すると。

 

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あれ。

どこかで見た頭。

 

お世話になっているCRAZY STUDYのじきるう編集長が最前列にいた。

まさにその日、オープニングの1時間前に、取材記事を公開してもらったばかり。

 

crazystudy.info

 

さすがわれらがクレスタの編集長、すばらしいバイタリティ。

ともあれ、オープニング終了後、オモシロ系ライター界のトップスターとも言えるヨッピーさんとデイリーポータルZ編集長 林健司さんのセッションが始まった。

 

ヨッピーさんは凄い人だった

 

テーマは「ネットコンテンツの15年を振り返る あの日、あの時、あのウェブメディアで」

 

※セッションのくわしい内容については、参加したライターさんや編集者さんが素晴らしいレポートをあげてくださっているので、ここではヨッピーさんの凄さについて語らせていただきます。

 

私が執筆対象として、Webを意識し始めたのはいつ頃だっただろうか。

もともと少し特殊な紙媒体の専属ライターで、その媒体で学んだことをライター業務全体の常識ととらえていた。

その常識を一度ゼロにして、Web媒体にしっかりと向き合うようになってからはまだ数年も経っていないかも知れない。

 

結論から言うと、デイリーポータルZ編集長はもとより、体をはったオモシロ系記事をどんどんと出しているヨッピーさんはずば抜けて頭の良い方だった。

 

インターネットは安価もしくは無料で接触できるメディアであり、紙媒体より多種多様な人に読まれている。

それゆえに、炎上もしやすい。

 

ヨッピーさんが言うには、一つの記事をあげて、2%の人がその記事に対し文句を言ってきたとする。数年後は、その2%の意見がメインとなっているそうだ。

 

こわい。Web、ほんまこわい。

 

「オモシロ系記事で稼いでいくには」という質問に対しては、「稼ぐのは結果論」とヨッピーさんと林さんは声をそろえた。

 

「書くことしかできない」人、もしくは「書くことが好きで仕方ない人」がライターとして残っていく。

私やんか、とついつっこみそうになったが、そこに読者の需要も盛り込み、冒険もしながら記事をあげているヨッピーさんは本当に聡明な方なのだということを実感した。

 

すなわち、聡明でなければ、ヨッピーさんほどのライターにはなれない。

質疑応答コーナーで手を挙げた人に対し、「きみ、どこかで会ったことあるね」と言い当てた姿にも、ヨッピーさんの聡明さがにじみ出ていた。

 

人の顔を覚える記憶力は信頼関係を築く上でもっとも重要なこと。

人の顔をすぐ忘れるわたし、大丈夫なのか、と頭をかかえつつ、次はインタビュースペースへ行き「ブレインライティング」に参加した。

 

必ず成果が出るので誰か一緒にやりましょう ブレインライティング

 

参加者はノオト社員の方を含め6名。70年代から2000年代までのトレンドを一覧にしたプリントと、それをもとに作られた企画のタイトル例が配られ、まずは2分、それに目を通す。

そこからヒントを得て、次は4分、時間が与えられ、二つの企画を作る。

「タイトル、ねらい、取材対象」の三つの項目を産めるのだ。

 

終わったら企画を書いた紙を左の人に渡す。私も右の人から企画が書かれた紙を受け取る。

そしてまた、4分時間が与えられる。

できれば前の人が書いた企画を広げた企画を作り、「タイトル、ねらい、取材対象」の項目を埋めつつ二つ作る。

無理ならまったく新しい企画を作る。

 

それを6回繰り返し、やがて最初に自分が企画を書いた紙が戻ってくる。

もちろん、その紙には参加者全員の企画も書いてある。

 

ここからは次の段階。

いくつでもいいので「良い」と思った企画に濃い字で〇をつける。終わったら左の人にその紙を回し、右の人から紙を受け取る。それをまた6回、繰り返す。

 

自分の紙が戻ってきたら、はさみを使い企画ごとに切り分けていく。

そして、全部をいっしょにし、どの企画がたくさん〇がついているか見比べてみる。

 

たくさんの人から〇をつけてもらった企画は、読者からもウケる可能性の高い企画。

逆に〇がまったくない企画は、自分では良いと思っていても、あまり魅力的ではない可能性の高い企画。

 

企画ごとに歴然とした差があって驚いた。

気に入った企画があったら持ち帰ってもいいよ、とのことだったので、自分が作った企画で〇が多いものをふたつ持ち帰った。

いつか記事にするかもしれない。

 

そして私は夕方からレンタルなんもしない人を招いたなんもしないパーティがあるため、15時半にCONTENZをあとにした。

なんもしないパーティのレポも書きたいのだけど。

 

なんもさんがリツイートしてくれたおかげでかつてないほどいいねがついているので、レポにすべきか否か検討中です(ヘタレ)

 

とにかく、だれか、

いっしょにブレインライティングをしましょう。

 

すっかりはまってしまいました。

参加者常に募集中です。

 

 

 

 

 

 

不妊治療の裏で見過ごされる「産まない」選択肢 ~『産まないことは「逃げ」ですか?』吉田潮

最近、不妊治療についての情報がいろいろなSNSやWEBメディアであふれている。

その情報に触れるのはたいてい女性で、まだまだ男性からの認知度は低い不妊治療だが、「不妊治療」や「年齢が上がってから産むことのリスク」、「男性不妊」の知識も10年前と比べれば得やすい時代になった。

 

その一方で、「産まない」道を選ぶ女性のことはまだあまり語られていない。

子どもの頃から、漠然と「わたしは子供を産まないんだろうなあ」と思っていて、去年PCOS多嚢胞性卵巣症候群)と診断されたときは「ああ、やっぱりか」という気持ちになった。

 

PCOS、30代。

「妊娠を望むならすぐに不妊治療を始めたほうがいい」

婦人科医に言われ、覚悟していたはずなのになぜか「不妊治療をしなければならない」という気持ちが急に来た。

数日で去っていったけど。

 

一瞬生じたその気持ちは、どこからくるものだったのだろうか。

「わたし」自身がそれを望んでいたとは言い切れない。

「夫が望むから」だったのだろうか。

少子高齢化の日本社会で、産まないことは悪いことだから」と無意識に思っていた、というのがその答えにいちばん近い。

 

「子どもを産む」「不妊治療をする」

その主体にあるのはほんとうに自分?

それを問い直させてくれる書籍だった。

 

 

産まないことは「逃げ」ですか?

産まないことは「逃げ」ですか?

 

 

不妊治療し、不妊治療をやめる決意をし、産まない人生を選んだ著者は自らを「平成の石女」と明るく語る。

 

(※石女とは、古来、家系存続のために女性が子供を産むことを義務とされていた時代に、産めなかった女性を指します)

 

私と違って子供が欲しいと感じていた著者は、そこに行きつくまでに葛藤があったはずだ。

著者のように苦しみを乗り越えて「産まない」ことを選んだ女性がそのことをオープンにするには、今の日本はまだ厚い壁がある。

私も「あまり子供が欲しくない」と周りに言うとびっくりされることが多い。

 

 

日本には「少子化防止のファシズム」があると著者は語る。

少子化はネガティブなことであると思われているが、もしかするとそれも世間一般からの洗脳なのかも知れない。

洗脳され続け、「子どもを産むことは義務」と思い込まされて、それが現代女性の苦しみにつながっているのかも知れない。

 

海外では「産む前に戻れるなら、母親になっていた?」という問いに「NO」と答えた女性たちの本が出版されているという。

日本では絶対に翻訳されない、と著者は語る。私もそう思った。

だけど「母親になったことを後悔している」という女性は、日本にも存在しているはずだし、たとえオープンにできなくてもそういった女性たちに寄り添えるような社会になってほしい。

 

「産むこと」と「産まないこと」については、ライターとしても取り上げたいテーマなので、いずれ記事にする予定です。

 

最後に備忘録として「産まない人生」に光が差すような書籍を見つけたので、これから読んでみたいと自分でも思いつつ紹介します。

 

 

誰も教えてくれなかった 子どものいない人生の歩き方

誰も教えてくれなかった 子どものいない人生の歩き方

 

 

 

産まない理由 今まで誰にも言えなかった私たちのホンネ

産まない理由 今まで誰にも言えなかった私たちのホンネ

 

 

 

産む、産まない、産めない (講談社文庫)

産む、産まない、産めない (講談社文庫)

 

 

かたっぱしから読もうと思います。

「令和の石女」と私も明るく自分のことを語れるようになりたい。

クローズアップ現代+「外国人留学生に何が」を見て

外国人留学生についての問題は、業界外で「ひとごと」化していかないか心配だったのだが、タイミングよくクローズアップ現代+が取り上げてくれた。

 

わたしは東日本大震災以後、漢字圏以外の留学生の割合が増え始めた頃に日本語教師になった。

東南アジア、南アジアの学生が深夜や早朝にアルバイトをし、そのまま寝ないで学校に来ている、という現状もリアルタイムで目にしている。

それに加えて漢字圏や韓国と比べて、非漢字圏の学生は漢字、文法、発音と日本語を学ぶ際の壁が厚い。

 

「学校としての機能を果たしていない」日本語学校・専門学校・大学はたしかにある。

ただわたしの勤務先を含め、学生にしっかりと向き合っている日本語学校のほうが圧倒的に多いと思う。

わたしもクラス担任をしたときは、通訳を入れて「今、日本語を勉強しなければ進学先が決まらないだけではなく、将来にも影響する」「夢をかなえるために大事なことはなにか自分自身の今の行動にかかっている」と指導した。

今まで勤務した三校すべて、真摯に学生に向き合っていた。

 

生活がかかっている留学生もいるので、アルバイトせずに勉強して、とはなかなか言えないが、留学生が日本語学校に在籍できるのは二年までだ。

入学して二年、全員が上級の日本語をマスターし、希望の大学や専門学校に進学するわけではない。

 

初級レベルの日本語能力しか習得できないまま卒業していった学生も、国籍問わずたくさん目にしている。

進学先が決まらず帰国した学生もいれば、決しておすすめできない誰でも入学できるような専門学校・大学に進学した学生もいる。

 

質の高い授業を提供できるような支援が必要、というのももちろんそうだが、学生のモチベーションをどう保っていくかも大きな課題だと思う。

進学校として存在している日本語学校の留学生たちは20代が圧倒的に多く、中には10代もいる。

クローズアップ現代+ではベトナムなどの東南アジアの学生を中心にインタビューをしていたが、中国や韓国のアルバイトをしていない学生でも、日本語を学ぶうえでのモチベーションの維持は大きな課題になっている。

 

外国人の違法就労を促進するような学校からは、優秀な教師はどんどん離れていくし、教育の質が落ちるのも当たり前。

 

それ以外の学校での課題は、「授業の質を安定させること」

それからもうひとつ、どうやって若い学生に「先生たちは日本語を教えたり進学指導をしたりすることはできても、出席率は変えられないし進学したい専門学校や大学の試験や面接にいっしょに行くこともできない。最後は自己責任」ということを伝えられるかということだと思う。

 

クローズアップ現代+のコメンテーターが「同じ日本人として恥ずかしい」とつぶやいていたが、根本的な問題はそこではない。

 

日本語学校に勤務する日本語教師の待遇が低いこと、この間可決された日本語教育推進法にも触れてほしかった。

日本語学校の雇用や授業の質が一定のものとなれば、学生も安心して日本語を学ぶことができ、その中で「日本語学校は日本語を学び、進学先を見つける場所。日本語学校をどう活用し、それによってどのような成果を得るかは自分しだい」という意識も高まっていくのではないだろうか。

 

考えなくてはいけないことが山積みの日本語学校や留学生の問題。

またこのブログでも取り上げたいと思います。

 

 

 

 

「正義」の不確かさ ~手塚治虫『アドルフに告ぐ』を再読して

初めて読んだ15年くらい前は、自分の信じていた「正義」が手からすべり落ちていく感覚を中盤で味わった。

 

今回、再読し、その感覚が「感触」と言えるほど生々しいものになった。

それを味わったのは初めて読んだときと違い終盤だった。

 

 

新装版 アドルフに告ぐ (1) (文春文庫)

新装版 アドルフに告ぐ (1) (文春文庫)

 

 

3人のアドルフのうちのひとりは言わずと知れたヒトラー

そのヒトラーが「実はユダヤ人だった」という仮説が、フィクションのキャラクターである他のふたりのアドルフの運命を変えていく。

 

アドルフ・カウフマンは日独ハーフの少年。

アドルフ・カミルはユダヤ人で両親が日本でパン屋を営んでいる。

 

幼い頃のふたりは固い友情で結ばれている。

特に繊細でいじめられっ子のカウフマンはピュアで見た目も中身もとてもかわいらしい。

一方、ドイツでは既にヒトラーが台頭していて、ふたりの背後には大人たちの思惑や不穏な歴史の前触れがたちこめている。

 

カウフマンはカミルを守るため、いやいやドイツに送られヒトラーユーゲントに入る。

「正義は何か」は生まれながらにしてはっきりとしているものではない。教育によって養われる潜在意識に等しい。

幼いカウフマンはみるみるナチスの考え方に染められ、その優秀さでヒトラーにも認められるようになっていく。

 

最初に読んだ頃はわたしも子供だったので、「正義とは何か」は「教育によって変わる」というのが大きな気づきだった。

その気づきを得た後は、その後の展開が重苦しくて、つらくてたまらなかった。

 

再読したとき、わたしが目を見張ったのはカウフマンではなく親友のカミルの変化だった。

 

※ここから、少しネタバレになります※

 

カミルの存在は最終章を迎えるまで「正義」である。

カウフマンと友情を結び、恋をし、カウフマンに恋人をレイプされ激怒し、戦時下の日本で虐げられても、その「正義」は揺らがない。

 

親友カウフマンの裏切りにより激怒し絶交するのも当然のことだし、読者もカミルよりカウフマンの心情や考え方の変化の方に目を奪われる。

 

※※ここから、完全にネタバレになります※※

 

ところが、終章、イスラエルに渡ったカミルは、パレスチナ人を虐殺するユダヤ人側のリーダーになる。

無抵抗の一般市民(女性や子供を含む)を笑いながら虐殺するユダヤ兵の中尉として描かれているのである。

 

カミル=「正義」というイメージが一瞬にして破壊される。

 

カウフマンは

幼児期→ヒトラーユーゲントに入る→優秀なナチス隊員になる→ある出来事をきっかけに価値観が破壊される→イスラエルパレスチナ側につく

という流れが、本人視点で描かれている。

だからこそ読者もカウフマンに感情移入し同情してしまう。

 

うってかわって、カミル視点の描写は少ない。

「自分は日本人だと思っているけど、その日本も戦時下となってしまった」「自分の国がほしい」と恋人と語り合う場面があり、伏線だともとれる。

それを踏まえても終章でのパレスチナ人虐殺側に回るカミルの姿は唐突すぎた。

 

ユダヤ人で日本育ちのカミルにとっても、「正義」は置かれた状況によって変わる不確かなものなのだ。

すなわち、ドイツ人、ユダヤ人、日本人、だれにとってもそうなのだ。

 

狂言回し的な存在の峠という男性も『アドルフに告ぐ』では登場し、彼をヒーローのように見立てたアクションシーンもあるのだが、その峠も序盤、事情があったとはいえ「悪」とは言えない女性をレイプし、自殺に追い込んでいる。

 

「どこに正義があるのだろう」

「そもそも正義って確かなものなのだろうか」

 

 

答えの出ないそんな問いが読み終えた後残った。

 

重厚感を残す『アドルフに告ぐ』、手塚治虫、50代後半で描いたそうです。

天才ってほんとうにこの世に存在するんだな・・・。

自分の力で働き方を考えることへのヒント ~鈴木絵美里さんの講座へ行ってみた @シブヤ大学

足を運んだきっかけは前回の記事で書いた文壇バー「月に吠える」でした。

 

www.wakariowriter.work

 

こちらのバーの肥沼店主とは会ったことがないのですが、著書でシブヤ大学が紹介されていて、「いつか行きたい・・・いや、今行きたい」と思い即座に検索。

 

タイミング良く知ったのが鈴木絵美里さんが登壇されている『渋南わたしのキャリアデザイン部 第1回 今の時代を生きる「わたしたちの働き方・生き方」』でした。

 

これがとても印象に残るもので・・・最近笑いをとろうとしてすべる、という悲しきパターンを繰り返しているこのブログですが、今回は真剣に書きます。

 

タイトルから、「キャリアコンサルタントが話しているよくあるキャリア関係の講座と同じようなものなんだろうな」と思う人がいたら、それは大間違いです。

 

わたしは鈴木絵美里さんがフリーランスの編集者でもありライターでもあるということからこの講座を申し込んだのですが、ご本人のこれまでの経歴だけではなくて、鈴木さんが取材してきた多種多様な人たちの生き方についても聴ける、深い内容の講座でした。

 

フリーランスになったほうがいいよ」

「会社員として安定した人生を送ったほうがいいよ」

インターネット上や日常生活では、毎日のようにそんな言葉がとびかっています。

 

他者からの言葉を信頼してフリーランスになったり会社員になったりして、失敗しても、言葉を発した人たちは責任をとってくれません。

 

そんな明確で無責任な言葉ではなくて、悩んでいる人たちは自分がこれからの働き方について自分の力で考えられるヒントがほしいのではないのかなあ・・・

 

と、ぼんやりと考えていたわたし。

そのぼんやり、がしっかりと言語化された講座でした。

 

「好きなものをつきつめすぎない」「オタクになりきらない」ことを指針にしているとおっしゃる鈴木さん。

実際に広告代理店や出版社に勤務されてからフリーランスになったのも、「フリーランスじゃないといけない」という考え方からではなかったそうです。

 

多様な生き方をしている人に取材を重ねられていく中で、それぞれの人たちがはじめから「好きなことで稼ぎたい」という理由だけでフリーランスになったのではない、と鈴木さんは語られます。

 

「悩みながら何かを続けそれが仕事になった」

フリーランスであることの不安定さをかかえながら不安定でいることに対しての納得感が腹落ちしている」

「そうしているうちに、フリーランスとして、やるべきこと、得意なことだけが巡っていく」

 

わたしが今回の講座で印象に残った言葉、三つです。

 

フリーランスは不安定です。今、安定していても、収入の増減はこれからもあるだろうし、国民保険、国民年金、住民税の支払いは容赦なく迫ってきます。

だけど、そんな安定しないことに対して自分なりの納得感を持つことができれば、目の前に映る世界は一転するのではないのかな。

そんなことをふと思いました。

お金はもちろん大事だけどね。それを前提として、鈴木さんがおっしゃった「納得感」という言葉は、心に迫ってくるものがありました。

 

鈴木さんは取材した人たちの中でも印象に残った人を対象に『職業図鑑』を作ります。

 

講座では、特に印象に残った人物として

・文化活動家 アサダワタルさん

・場を編む人 藤本遼さん

・低山トラベラー 大内征さん

のお三方をあげられました。

 

働き方だけではなくて、ライターとしても参考になった点がたくさんありました。

 

・未来につながりそうな気配があれば先行型で会いに行く

・すでに取材した方たちをエクセルシートでリストアップ(ジャンル、自称、対象者の名前など)

・リストアップしたものを見て、どうすればその人の個性を際立たせられて面白いものになるか考える

・誰かの話を聞いたときに、それを読者に伝える形にしようというくせを作ると、自分の中でも棚おろしができる

 

これは企画、取材、執筆とすすめていくうえで、ライターとして今すぐにでも実践できることです。

鈴木さんが勧められていた書籍も、自分の備忘録も兼ねてここに残しておきます。

 

コミュニティ難民のススメ ― 表現と仕事のハザマにあること ―

コミュニティ難民のススメ ― 表現と仕事のハザマにあること ―

 

 

 

働き方の哲学 360度の視点で仕事を考える

働き方の哲学 360度の視点で仕事を考える

 

 

村山昇さん『働き方の哲学』は、「あなたの考える多忙とは何か」ということもテーマの一つになっているそうです。

 

わたしもよく「忙しい、忙しい」と言っているけれども、わたしの考える「多忙」ってなんなのだろう・・・

 

明確な答えは自分の力で見つけて、これからの働き方につなげていくしかないです。

でも、そのためには「自分で考える力」を養わなければなりません。終わってから、たくさんのことを自分で考え、働き方について考える力が講座を受ける前よりついているのを感じました。

 

 

余談ですが、鈴木さんの声質と口調、ナレーター(副業)が聴いても心地よかったです。

これからも編集やライティングだけではなくて講演会もぜひやってほしいなあ・・・と思いました。(ただの要望)

 

鈴木さん、今後のご活躍を期待しています!

 

 追記 講座、なんと無料でした・・・おトクすぎるよシブヤ大学

 

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※内容とは関係ありませんが、うっかり会場周辺の写真を撮り忘れたので、今ライターもくもく会で食べているお菓子を載せます。

 

日本一敷居の低い文壇バーに行ってみた

平成が令和にうつりかわった年の ゴールデンウィークのことです。

この年のゴールデンウィークはなんと10連休。

正直、フリーランスにとっては痛手です。そんなに連休いりません。

ひますぎるし収入もないからお金も使えないしでごろごろしていたわたしは、ふと思い立ちました。

 

そうだ、文壇バーへ行こう。

文壇バーへ行って、本を読み、ものを書く人、編集する人と話をして知見を得よう。

 

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というわけで、日本一敷居の低い文壇バー「月に吠える」へ行ってきました。

場所は新宿ゴールデン街

新宿ゴールデン街とはなんぞや?と思いつつ行くと、レトロなバーが並んでいる界隈でした。

 

新宿なれした友達にラインすると、「え。わかりおゴールデン街とか行くの?」とびっくりされましたが、その理由はいまだにわかりません。

個人的には歌舞伎町より居心地のよさを感じました。歌舞伎町もあまり行ったことがないけどね。

元彼は歌舞伎町の交番で警察官をしていたなあ、とはるか昔のことを思い出しつつ18時半に張り切って「月に吠える」の扉を開けました。

 

あ、開店19時からです

 

わかりおさん、張り切りすぎて開店時間を誤解していたようです。

感じの良さそうな店番のお兄さんにやんわりと言われ、その後19時までゴールデン街をうろつきました。

 

19時ぴったりに入店。

開店時間だったので、お客さんはわたしと友達だけでした。

バーテンダー(このバーでは曜日ごとに「店番」がいるそうです)さんを取り囲むようなカウンターの作りで、1人で来てもここならぼっちになることはないな、と安心しながら席につきました。

カウンターにはお酒の他に数々の本も置かれています。マスターのお気に入りの本が並べられているようで、奥には本棚もありました。

 

感じの良い店番のお兄さんとしばし歓談。

店番さんはライターさんで、わたしたちが出店しようとしている「文学フリマ」にも出店経験があるとのこと。いろいろ教えてくれました。

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文壇バーなので、文学に関係のある名前のお酒がたくさんあります。

これは迷わず頼んだ「印税生活」というお酒。

浮かんでいる金粉が印税のようです。

小学生の頃からの夢なんです。印税生活。

今から思えばいやな小学生やな。

 

30分くらい経つと、お客さんがどんどん増えてきました。

常連さん半分、初めての人が半分ぐらい。早い時間から満席になりましたが、もしかするとゴールデンウィークだったからかも。

 

お客さんや店番さんと話すのも楽しいですが、お酒を飲みながら読書もできそうです。その中に「月に吠える」マスター肥沼さんの著作があり迷わず購入しました。

 

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フリーライターとして食べていくには何が必要かがタイトルのとおり書き連ねられています。企画や取材のことなども書かれていて参考になりました。

すごいと思ったのは著者の肥沼さんがライターとしてデビューする前に、自ら興味を持った人に取材をし、ブログにあげていたという話。

もちろんブログなので収入になりません。でも、それは間違いなくポートフォリオとして営業活動のタネにはなります。

そうやって仕事を広げていったマスターの話はとても参考になり、翌日一気読みしました。

 

そういえば「一気読み」というのは読書好き界隈ではよく使う言葉ですが、日本語として正しいのでしょうか。

正しくない気がします。まあいいや。お酒の席だし。

 

店番の方はライターさんでしたが、お客さんの職種は多種多様でした。これも「日本一敷居が低い」と言われるゆえんなのかな。

 

「ゆえん」という言葉も最近聞かないですね。若者は使っているのでしょうか。

文壇バーにいるせいか日本語に対してもどんどん敏感になっていきます。

いや、もともとライター兼日本語教師なんだから日本語には敏感にはなっていようよ。

 

そんな自分ツッコミもお酒の席ではなんの役にも立ちません。こんな虚無感を文豪たちも感じていたのだろうか、とふと後ろを振り返ると

 

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お酒に強い文豪番付がありました。

もし同じ時代に生きていたら、ここで会えた人もいるかもしれません。

 

 

酔いが限界に達したので、早めにお会計。

チャージ料500円プラス飲み物代で、ふたりで2000円くらいでした。

ゴールデン街の他のバーの相場を知らないのですが、かなりおトクな気がする・・・

 

そんなこんなで、平成最後のわたしの誕生日は終わりました。

誕生日に文壇バーへ行ったという記憶は、一生忘れないものとなるでしょう。

 

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そしてその1ヶ月後、今度は「月に吠える」さんの読書会に参加することになります。

その話はまた別の記事で。

アイコンを友達に描いてもらったらSNS人生が変化した

自慢ではないんですけど。

わたしの友人にはオタクが多いです。

 

で、これまた自慢ではないんですけど。

わたしの友人は才能豊かな人が多いです。

 

そんな友人のひとりがわたしのツイッターのアイコンを作ってくれました。

ブログにも掲載していいよと言ってもらえたので載せます。

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どうですか。

すごいでしょう?

 

そして、ゆるくて可愛い画像も作ってもらいました。

 

 

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どうですか。

かわいいでしょう?

 

本人の希望で作者の名前は紹介できないのですが、ぜひイラストレーターとしてデビューしてほしいなあと思っています。

 

このアイコンにしてから、わたしのツイッターにも変化が現れました。

以前のわたしの自作のアイコンはこれです。

 

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今思えば、このアイコンで時々世間にもの申したり、いち日本語教師、いちライターとして偉そうなツイートをしたりしていました。

 

どんなに偉そうなことを言っても、アイコンはこれです。説得力皆無です。

 

ところが、アイコン変更後、ツイートの内容が非常に説得力のあるものに変化しました。

 

 

 

なんということでしょう。(もはや口癖)

 

アイコンを変えただけで、ツイートする際のわたしの姿勢は伸び、第三者からの視点をひしひしと感じました。

 

文字を入力する指の動きもメリハリがつき実際に自分がこのアイコンのようなキラキラ感をかもし出しているかのような気持ちになります。

 

そしてフォロワーも当日中に2人増えました。

これはアイコン効果としか思えない。

 

みなさん。ツイッターのアイコン、大事です。

描いてくれた友達へ。早くイラストレーターデビューしてください。

 

このブログもアイコンのクオリティは抜群に上がりましたが、記事については、これからもわたしが絵を描き続けます。

 

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今後ともよろしくお願いいたします。