若林理央の書評

フリーライターの若林理央です。新刊を中心とした書評をしたためるブログです。エッセイはこちらから→note.mu/wakario

逃げられない子どもたちが残したもの 『ぼくらの』鬼頭莫宏

※一部ネタバレあり。

『ぼくらの』は、ただの鬱漫画じゃない。

ロボットがメインのバトル漫画でもない。

甘えの許されない状況下に登場人物を置き、生きることの本当の意味を彼らの死によって伝える、他に例を見ない人間ドラマだ。

 

アニメもあるが、原作漫画のメッセージ性や世界観が継承されているのは主題歌だけだった。

ここでは、漫画『ぼくらの』について書く。

 

二度三度読み返すごとに、新しい気づきがある。伏線が物語に張り巡らされている。

夏休み、自然学校に参加した中学1年生14人と、そのうちのひとりの妹カナ。彼らはお互いにニックネームをつけて呼んでいた。

1巻の冒頭、物語全体を通して意味を持つ、ある少年のモノローグが記されている。

 

中学生になった時、

ぼくらはもう一人前で

自分でなんでもできると思った。

ぼくらは

泣いたり笑ったり

怒ったり

もう、この世の中のことは

ほとんど

知った気になっていた。

 

でも本当は

父や母に守られ

社会に守られている

ただの子供だった。

 

本当の

悲しみや喜びや

怒りは

そんな日常の中には

なかった。

 

それを知ったのは

ぼくら15人が集まり

そして、

 

あれ、

 

あれに

出会ってからだった。

 

(『ぼくらの』1巻 (鬼頭莫宏著、IKKI COMIX、2004年)

 

彼らは海で遊んでいたとき、洞窟を見つけ、中に入る。

そこでゲームを作っているという男と出会い、ゲームに誘われる。地球に15体の敵が襲い掛かってくる。それを迎え撃つロボットのパイロットになるゲーム。

「おもしろそう!」

中学1年生の14人はゲームに契約する。10歳のカナのみ、兄に止められ契約できなかった。

 

それはゲームではなかった。

地球は本物の地球。子どもたちが事前に説明を受けているのはここまでだ。

 

自分たちが負ければ地球は滅亡する。自分も友だちも家族も死ぬ。

勝てば地球は次の敵が来るまで平和だ。だけど、操縦していたパイロットは、死ぬ。

勝っても死ぬのだ。

契約した時点で、子どもたちはそれを知らない。

 

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1人目のパイロットはワク、1巻の表紙でいちばん大きく描かれ、見た目も性格もバトル漫画の主人公によくいるタイプだ。

まず彼の名前が呼ばれてパイロットになった。勇敢に戦い、勝った後死ぬ。タイミングがタイミングだったので、他の子どもたちは事故死だと思いこむ。

 

子どもたちは自然学校からそれぞれの自宅に戻り、自分たちに死が迫っていることを知らないまま日常生活を送る。

次に名前を呼ばれたのはコダマという少年。自分のことを特別だと思っていて、父を尊敬している。

 

コダマは街中で戦った。街が破壊されていくのを見て、子どもたちは気づく。

「こんなのはヒーローがやることじゃない」

誤ってロボットで父親を踏み潰したコダマは動揺する。

だが、最後まで戦い勝つ。敬愛する父を殺してしまった自分を「特別な存在じゃないのかもしれない」と思ったまま、命を落とす。

 

最初の二人、ワクとコダマは、操縦した後、パイロットが必ず死ぬことを知らないまま逝った。

案内役である、ぬいぐるみのような容姿のサポーター「コエムシ」は、真実を残った子どもたちに教える。

想像もつかない絶望的な運命が自分たちに待ち受けていることを、彼らはそこで知るのだ。

 

その後はラストまで、ひとりひとりパイロットが選ばれ、それぞれの背景や戦闘までの苦悩、戦う姿が描かれる。

 

「死にたくない」吐き気をもよおすほどそう思いながら、大切な人のために戦う子、

死の恐怖に耐えきれず家や人を踏みつけて逃げ、自身も悲惨な最期を迎える子、

辛い状況の中に既にいて、復讐の道具としてロボットを利用する子…

 

ロボットは戦闘中、周辺に住む人たちにも被害をもたらした。

何万もの人たちが死に、犠牲者のストーリーは作中で描かれない。

 

5巻で敵の正体がわかった瞬間、彼らの戦いはより過酷なものとなる。

勝って死んでも自分たちは正義の味方ではない。殺戮者なのだ。

だけど、勝たないと地球は滅亡する。

 

パイロットのひとりキリエ。

彼はいじめられっ子だったが、聡明で物事を冷静に見つめていた。

キリエはアクション映画が苦手だと言う。

 

ああいう映画って

たいてい

一般の人達が巻き込まれて

犠牲になるじゃないですか。

 

(中略)

 

観客はたいてい、

巻き込まれて

犠牲になる群衆に

関心をもたいないですよね

 

主人公達が死んでいくことには

過剰に反応するのに

 

(『ぼくらの』6巻 (鬼頭莫宏著、IKKI COMIX、2006年)

 

これはまさに読者である私たちのことだった。

パイロットである子どもたちには「だまされたあげく死ぬしかなくて、かわいそう」と反応するのに、彼らがロボットを戦わせたことで亡くなった多数の人々や、敵側には配慮しない。

 

直後にキリエもパイロットとなり死ぬ。

残った子どもたちは、仲間の死に慣れていく。

 

後半、とうとう10歳のカナも契約していたことが判明する。

自分に暴力を振るう兄。10歳とは思えないほど思いやりがあるカナは、兄のために抵抗しなかった。同時に自分の死も受け入れているようだった。

だが、一つだけ実現したいことがあった。

結局それは叶わなかった。

後に回想で、死ぬ間際、カナが「私、死んじゃうよう!」と兄にすがりついていたことが判明した。

 

大人びていても、やはり10歳の子どもだったのだ。

カナ以外のパイロットも、全員まだ中学1年生だ。

 

事実を知った親たちの一部は、自分が代わりになりたいと悲痛な想いで嘆く。

しかし、誰も代わりにはなれない。

 

そして、15人の子どもたちの中には裏切り者もいた。

 

ラストパイロットの名は伏せる。

彼の戦いはいちばん苦しいものだった。これまでの人類が誰も経験したことのないような、大量殺戮をしなければならない状況に追い込まれたのだ。

彼は嘔吐する。まだ生きているのに、既に死んでいるような気持ちだっただろう。

任務をまっとうし、彼は背景が真っ白な、死後の世界で14人の仲間たちと合流する。

脳が見せた最後の幻だったのかも知れない。

 

ラストパイロットの後、もう一人、物語を受け継ぐ人物がいた。

そこに救いがあるのか、ないのか。

子どもたちの戦いは絶望しかなかったのか、希望を残したのか。

 

すべてがわからない。

「大切な人を守れた」「だけど、自分たちも生きたかった」

その事実だけが残る。

 

生きることは死ぬことに直結する行為だ。

ふだん忘れがちだが、パイロットたちでなくてもみんなそうだ。

できれば、自分や身近な人が死ぬことを想像せずに生きたい。

その願いが叶い続ける人はほとんどいないだろう。

 

「生」の実感と、本当の「悲しみ」「喜び」「怒り」。

登場人物たちの死によって受けた心の痛みで、私はようやく知ることができた。

 

『ぼくらの』は単なる鬱漫画じゃない。