若林理央の書評

フリーライターの若林理央です。新刊を中心とした書評をしたためるブログです。エッセイはこちらから→note.mu/wakario

小説で実験をする『人間』又吉直樹

文学は、もっと実験的で良いはず。

化学とか言語学とか、他の学問ではどんどん新たな手法が生み出され、「~(人名)法」と名付けられているものもある。

出版業界も大きく変化したことだし、小説を書くことで、作者たちも批判を恐れないで新たな実験をしていただきたいと個人的に思っている。

 

又吉直樹さんは文学の実験をしている稀有な作家だ。

作家デビュー前からお笑い芸人をしていることが、良くも悪くも又吉さんの小説の評価に影響を及ぼしている。

 

又吉さんが芸人であることを抜きにして、彼の小説を読むことは難しい。

その読者の感覚は著者本人が変えたくても変えられるものではない。

でも、又吉さんの仕事が作家だけではないから、彼は小説を使って実験ができるのだ。

新しい文学の実験を。

 

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又吉直樹『人間』(毎日新聞出版/2019年10月10日発行)

 

『人間』も実験的な小説である。

主人公は、又吉さんのように見える。

登場人物の影島は、もっと又吉さんのように見える。

意外と「めっちゃいやなキャラ」として描かれるナカノという登場人物も、又吉さんのある部分を体現しているのかも知れない。

 

さて。

登場人物の輪郭がはっきりしていくにつれて、私はわからなくなってくる。

どの登場人物が、又吉さん?

 

小説の中に著者を投影した人物がいなくても、普通は問題ない。

それなのに、私たち読者は読みながら又吉さんを探してしまう。

著者本人が意識しているのかどうかはわからないが、これは彼しかできない手法である。

 

「又吉さんを探せ!」と言わんばかりの前半の混乱があるからこそ、中盤以降、この小説は勢いを増す。

 

中盤で出てくる作家とコラムニストの長いバッシング往復書簡なんて、作者が他の人なら読みたくない。

 

だが、私はのめりこんで読む。

書いたのが又吉さんだから。

そこに「作家であり芸人である著者の分身を見つけたい」という気持ちが生まれてしまうのだ。

 

作家としてちょっとあざといかも知れないけれど、

「小説とはこうあるもの。こういった技巧が必要」

と感じるのは読者の凝り固まった先入観だ。

 

エンタメ作家ならともかく、本来、純文学作家は気にしないで小説で実験しても良いはずだ。

かつて、著者の憧れる太宰治や、太宰と対立した川端康成もそうしたように。

先入観をぶち壊してこその純文学。

著者はそれを『人間』で成し遂げた。

 

芸人であり作家でもある又吉直樹は、作中でどきっとする言葉を読者に投げかける。

 

”神様はなんで才能に見合った夢しか持てへんように設定してくれんかったんやろ。それかゴミみたいな扱い受けても傷つかん精神力をくれたらよかったのに”

 

「自分の夢が叶わないかも知れない」と思ったとき、誰もが一度はこう感じたことがあったのではないだろうか。

追い打ちをかけるかのように、辛辣な言葉を主人公は放ち続ける。

 

”なんで自分達と似たところから這い上がった奴にだけ過剰に反応すんのかね”

 

ほんとうに、”みっともない”

 

「その”みっともない”ことが匿名ででき、世界中に配信される時代になってしまったことを、きっと又吉さんも憂えているのだろう」

と勝手に私は想像し親近感を抱く。

 

終盤、急に主人公の家族にスポットがあたるくだりは、突拍子のなさを感じてしまったが、中盤までの流れで「ああ、これも又吉さんの実験なんだろうな」と私は勝手に納得した。

 

実験をしないと、きっともうすぐ純文学は淘汰されてしまう。

凝り固まった文壇に、一石を投じてくれた小説だった。