映画と本と

フリーライターの若林理央です。ダ・ヴィンチニュースや好書好日で執筆中。小説や映画について語るブログです。エッセイ→note.mu/wakario Twitter→https://twitter.com/momojaponaise

映画は時代を映し出す鏡?-洋画5本を考察ー

 

映画は、直接的に時代を知る鏡のように思える。

負の歴史を描き過ぎたものは、本国で上映禁止になることもある。上映禁止になるということは、そこにそれぞれの国が隠したいものが描かれているからかも知れない。

 

最近は、戦前より前の時代を設定しているのに登場人物の感覚が現代的すぎて違和感を覚えるものもある。史実どおりなら問題ないのだが、あまりに現代的すぎると逆にリアリティがなくなり、歴史の本質はますます見えなくなる。

 

歴史をもっとも体現しているのは、映画に登場する女性たちと、その女性たちに接する男性の考え方だ。

今日は19世紀から第二次世界大戦前までを描いた映画5本にスポットをあて、当時の歴史上の出来事を示しつつ映画の時代背景を見ていきたい。

 

 

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ちなみに『風と共に去りぬ』などの明らかに時代背景(南北戦争時の米南部の人種差別)を隠した有名な映画は省き、映画の時代設定が現代と近い順に綴っていく。

 

1919年ー『婚約者の恋人』(フランス・ドイツ。2012年公開)

【1919年にあったこと】

前年、第一次世界大戦終結

1月、パリ講和会議開催。(フランス)

3月、ムッソリーニが後のファシスト党を作る。(イタリア)

4月、連合国とドイツの間でヴェルサイユ条約締結。

8月、ヴァイマル憲法成立。参政権が20歳以上の男女に。(ドイツ)

この年、ドイツでヒトラーが政界に進出。

※日本は大正時代中期。

 

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(フランスのタイトルは『FRANTZ』 でした)

 

さて2012年に公開されたオゾン監督のこの映画の舞台はドイツとフランス。

詳細は『婚約者の友人』のみを取り上げた記事に書いてあるが、ここで気になるのはドイツ国籍の未亡人アンナの行動だ。夜にひとりで出歩き、前年まで敵国だったフランスを旅する。フランスのカフェに入りルーブル美術館オペラ座にも一人で入る。

アンナはドイツ人だがフランス語も堪能だ。ドイツで初めて女性参政権が認められた年であるのに高等教育を受けていることがわかる。

アンナは先進的な女性であったと仮定しても、あまりにも現代的すぎる気がする。この6年前のドイツを舞台にした映画を見るとその推測は確信に近づく。

 

1913年ー『白いリボン』(ドイツ。2009年公開)

【1913年にあったこと】

9月、ドイツの農村で連続殺人事件(ワグナー事件)発生。

11月、最後の将軍徳川慶喜死去。(日本)

※日本は大正時代になったばかり。翌年、第一次世界大戦がはじまる。

 

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第一次大戦をはさんで前後する『白いリボン』と『婚約者の友人』。同じドイツでありながら、終戦の痛みを抱えつつもどこか開放的な町を舞台にした『婚約者の友人』と異なり、『白いリボン』は閉塞感のある村で虐待に近い教育を受けた子供たちの精神のゆがみを描いている。

 

白いリボン』では暗黙のうちに、成長した子供たちがネオナチになることを予感させる。一方、『婚約者の友人』のアンナは『白いリボン』の子供たちと同年代のはずだが、そのような不穏さはなく亡くなった婚約者の両親もやさしい。

 

田舎と田舎町の違いだろうか。むしろ私は、『白いリボン』監督のミヒャエル・ハネケ第二次世界大戦中に生まれたオーストリア人であるのに対し、『婚約者の友人』監督のフランソワ・オゾンが1967年生まれのフランス人であることに注目したい。

 

恐らく実際は、『白いリボン』のような雰囲気が当時のドイツにより近いのではないだろうか。

 

1890年頃ー『テス』(イギリス。1979年公開)

【1890年前後にイギリスであったこと】 

1887年、群衆が政府に対してデモを起こし暴動となる。(血の日曜日

1888年切り裂きジャック事件。

 

※日本は明治時代。1894年には日清戦争が起こっている。

 

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ドイツから少し離れてヴィクトリア朝時代のイギリス。美しさゆえに不幸になっていく少女テスの生涯を描いた3時間近い大作映画である。監督はロマン・ポランスキー

 

テスは貧しい農家の出で、父親は働かない。あることをきっかけに奉公に出るが、奉公先の金持ちアレックに弄ばれる。作家トーマス・ハーディの原作ではこれが合意の上か犯されたのか微妙な表現がなされているが、映画では明らかにレイプだ。まずここで身分の低い女性がどれほど軽んじられていたかがわかる。

 

テスは妊娠し、実家に帰り出産するも赤ん坊はすぐに死亡、今度は牧場に勤め始めたテスは、そこで牧師の息子エンジェルと両想いになる。

結婚した初夜、エンジェルに他の女性と関係を持ったことがあると打ち明けられたテスは、思い切って自分も処女ではないことを明かす。するとエンジェルは急に冷淡になり、テスを突き放す。

 

日本もそうだが、この時代女性にとって貞操は命よりも大事なものと思われていた。ヴィクトリア朝時代の女性は抑圧されていて、キリスト教の戒律も厳しい。処女ではない、そのことだけでテスの人生は壊れ始める。

困窮したテスとその家族の残る道は、テスが再びアレックの愛人になることだけだった。貧困層が保護されない、どのような理由でも未婚女性は処女であることが求められるなど、まさにこの時代を反映している。

 

1852年ー『ピアノ・レッスン』(スコットランドニュージーランド。1993年公開)

【19世紀半ばのNZの状況】

1830年代以降、イングランドからの入植者が増加。1840年、NZはイングランド支配下に置かれたが先住民マオリ族との対立が絶えず、1860年から1872年までマオリ戦争が続いた。入植者はイングランドスコットランドから花嫁を買うこともよくあった。

※日本は江戸時代、将軍は徳川家慶。1853年にはペリーが来航した。

 

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『テス』から40年ほど遡る。ヴィクトリア朝の女性を描いたものだと他に『ジェーン・エア』は1842年、『嵐が丘』は1847年にブロンテ姉妹がそれぞれ発表している。この三つの作品より前の時代に設定されているにも関わらず、登場人物の服装とマオリ族との関係以外に歴史を感じさせるものがほとんどないのが、この映画の特徴だ。

 

なぜならスコットランドの女性エイダが21世紀を生きる女性のような感覚を持っているからだ。エイダは子持ちで言葉を話せない。ピアノを弾くことで言葉の代わりに心を語る。エイダは入植者スチュアートに買われて娘と共にNZへと向かうところから物語はスタートする。

 

当初この映画は悲劇で終わる予定だったという。たしかにスチュアートへのかたくなな態度を崩さないエイダは非常にわがままで、当時のキリスト教徒の女性としては最大のタブーである不倫をし、それによって自分の子供も振り回す。このような奔放な行動に走る女性は、当時の女性であれば富裕層であっても悲惨な末路しかなかっただろう。

 

そもそも婚外交渉で生まれた子供がいるという点ではエイダはテスと同じだが、夫スチュアートはエイダの処女性は重視していない。嫁ぎ先に婚外交渉で生まれた娘を連れて行くことができ、言葉が話せなくてもエイダの周囲の男性たちは気にしない。これはスチュアートが入植者で立場が弱かったためか、エイダがピアノを所有できるほどの富裕層の娘だったからか…

どちらにしても登場人物のほとんどが実際の時代背景とそぐわない現代的な感覚を持ちすぎ、リアルな19世紀を感じられない映画だった。

1840年頃ー『マンディンゴ』(アメリカ。1975年公開)

1830年1850年アメリカであったこと】

(1813年のフランスのナポレオン没落以降、アメリカ大陸への白人の入植は進んでいく)

1840年、清と英国の間でアヘン戦争勃発。1842年まで続く。

1846年、現在のテキサス州を巡りアメリカ・メキシコ戦争勃発。1848年まで続く。

1848年、欧州で革命が相次ぐ。

※日本は江戸時代、1837年から徳川家慶が将軍に。

 

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ピアノ・レッスン』とは真逆に震え上がるほどのリアリティでアメリカの負の歴史を見せてくれるのが『マンディンゴ』である。

テーマは奴隷制度で人種差別を扱っている。『マンディンゴ』については改めて1本の記事にしたいと思うが、この記事では女性の扱われ方にスポットをあてたい。

 

約20年後には南北戦争が始まるアメリカ南部。白人男性たちは家畜のように黒人を扱い、黒人奴隷の女性を気軽に犯し彼女たちとの間に子どもが生まれても平気で売る。

白人男性の正妻である白人女性たちもそれを気にしない。同じ人間として見ていないのだ。それが南北戦争前のアメリカ南部では一般的だった。

 

若い農場主ハモンドの妻である白人女性ブランチもそうなるはずだった。実際にハモンドとの結婚が決まり、ハモンドに「黒人女性とのセックスの経験はある」と言われても、ブランチはまったく気にしていない。

 

ところが新婚初夜、ずっと黒人の処女を相手にしてきたハモンドはブランチが処女ではないことを見抜く。『テス』のエンジェルと同じようにハモンドは落胆、ブランチを放置し、直後に黒人奴隷のエレンを愛人として買い取りエレンを妊娠させるという異常な新婚生活が始まる。

 

エンジェルもハモンドも今なら「処女厨」である。「あんた自分のこと棚に上げて…」と現代女性なら責めることができるが、当時のキリスト教徒の男性としては常識的な感覚だ。

 

ブランチは必死で自分の初めての男性はハモンドだと言い募る。結局、精神的に疲れ果てたブランチは13歳の頃自分の兄とセックスしたことをハモンドに打ち明ける。

結婚前、ブランチが兄のことをいやがり「早く実家を出たい」と言う場面があるので、「ブランチは性的虐待を受けていたのでは?」と私は思うのだが、『テス』と同様に、男たちにとっては自分の女が処女ではなかったということが重要で、レイプによるものか合意の上でなされたのかは関係ないようだ。

 

心を病んだブランチは、エレンを鞭で叩き階段から突き落として流産させ、夫の信頼するたくましいマンディンゴ族の黒人奴隷を脅し関係を持つ。そして肌の黒い赤ん坊が生まれる。

赤ん坊は闇に葬られ、その後ハモンドはブランチを毒殺する。

自分は他の女性とセックスしても、妻の不貞は許さない。

日本でもこの100年後まで続いた価値観は、世界中で当たり前のものと思われていた。

 

タイムスリップはできなくても

 

現在、世界で最高齢なのは日本人の田中力子さん(117)である。生まれたのは1903年、この記事で紹介した映画だと『テス』の時代に生まれ、『白いリボン』に登場する子供たちや『婚約者の恋人』の主人公アンナと同世代だ。

 

つまり、それより前の時代を実体験として知る人は、もはやこの世のどこにもいない。だから史実をもとに時代背景を設定するしかない。

 

100%は難しいと思うが、私が調べたところ上記5本の中でより時代を表していたのは『白いリボン』と『マンディンゴ』だったと思う。

 

歴史を知る術でもある映画やドラマ、小説などのカルチャーは、時代に併せた人物設定や展開を見せ、後世に伝えていく必要がある。負の歴史を隠さず、人物設定も時代に合わせたものにしなければ、私たちは真実に気づかないまま終わってしまう。

 時代背景を映し出すことで、現代の私たちは人間の悲しみ、苦しみ、そして喜びを、100年以上前に生きた人たちと共有できる。私はそう確信している。